大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所 平成5年(行ケ)1号 判決

原告兼自己以外の原告ら訴訟代理人弁護士

金尾哲也

大迫唯志

山下哲夫

吉田修

木村豊

坂本彰男

被告

広島県選挙管理委員会

右代表者委員長

畑博行

右指定代理人

森岡孝介

外五名

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

平成五年七月一八日に行われた衆議院議員総選挙(以下「本件選挙」という。)における広島県第一区の選挙を無効とする。

第二  事案の概要

本件は、広島県第一区の選挙人である原告らが、本件選挙の議員定数配分規定が憲法一四条一項に違反する旨主張して、本件選挙における同選挙区の選挙の無効確認を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  本件選挙は、公職選挙法の一部を改正する法律(平成四年法律第九七号、以下「平成四年改正法」という。)により改正された公職選挙法(昭和二五年法律第一〇〇号、以下「公選法」という。)の衆議院議員定数配分規定(同法一三条一項、同法別表第一、同法附則七ないし一一項、以下「本件議員定数配分規定」という。)に基づいて施行された。

2  本件議員定数配分規定による本件選挙当時の選挙人名簿登録者数(平成五年七月三日現在)に基づく選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差は、最大一(愛媛県第三区)対2.84(東京都第七区)であった。

3  原告らは、いずれも本件選挙における広島県第一区の選挙人である。

二  争点

本件議員定数配分規定が、憲法一四条一項に違反するか否か。

この点に関する当事者双方の主張は、別紙のとおりである。

第三  争点に対する判断

一  議員定数配分規定の憲法一四条一項違反を理由とする選挙無効訴訟について

右訴訟についての採るべき基本的な考え方は、すでに最高裁平成五年一月二〇日大法廷判決(民集四七巻一号六七頁)が次のとおり判示するところであって、当裁判所の見解も、これと同一である。すなわち、

1  法の下の平等を保障した憲法一四条一項の規定は、国会の両議院の議員を選挙する国民固有の権利につき、選挙人資格における差別の禁止にとどまらず(四四条但書)、選挙権の内容の平等、換言すれば、議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等、すなわち投票価値の平等をも要求するものと解すべきである。

2  憲法は、国会の両議院の議員を選挙する制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量にゆだねているのであるから(四三条、四七条)、投票価値の平等は、憲法上、右選挙制度の決定のための唯一、絶対の基準となるものではなく、原則として、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的に実現されるべきものと解さなければならない。

それゆえ、国会が定めた具体的な選挙制度の仕組みの下において投票価値の不平等が存在する場合に、それが憲法上の投票価値の平等の要求に反しないかどうかを判定するには、憲法上の投票価値の平等の要求と国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政に反映させるという選挙制度の目的とに照らし、右不平等が国会の裁量権の行使として合理性を是認し得る範囲内にとどまるものであるかどうかにつき、検討を加えなければならない。

3  公職選挙法がその制定以来衆議院議員の選挙制度として採用しているいわゆる中選挙区単記投票制の下において、選挙区割と議員定数の配分を決定するについては、選挙人数と配分議員数との比率の平等が最も重要かつ基本的な基準であるというべきであるが、それ以外にも考慮されるべきものとして、都道府県、市町村等の行政区画、地理的状況等の諸般の事情が存在するのみならず、人口の都市集中化の現象等の社会情勢の変化を選挙区割や議員定数の配分にどのように反映させるかという点も考慮されるべき要素の一つである。このように、選挙区割と議員定数の配分の具体的決定に当たっては、種々の政策的及び技術的考慮要素があり、これらをどのように考慮して具体的決定に反映させるかについて客観的基準が存在するものでもないから、議員定数配分規定の合憲性は、結局は、国会が具体的に定めたところがその裁量権の合理的行使として是認されるかどうかによって決するほかはない。

右の見地に立って考えても、具体的に決定された選挙区割と議員定数の配分の下における選挙人の投票の有する価値に不平等が存在し、あるいはその後の人口の異動により右のような不平等が生じ、それが国会において通常考慮し得る諸般の要素を斟酌してもなお、一般に合理性を有するものとは考えられない程度に達しているときは、右のような不平等は、もはや国会の合理的裁量の限界を超えているものと推定され、これを正当化すべき特別の理由が示されない限り、憲法違反と判断されざるを得ないものというべきである。

もっとも、制定又は改正の当時合憲であった議員定数配分規定の下における選挙区間の議員一人当たりの選挙人数又は人口(この両者は、おおむね比例するものとみて妨げない。)の較差が、その後の人口の異動によって拡大し、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至った場合には、そのことによって直ちに当該議員定数配分規定が憲法に違反するとすべきものではなく、憲法上要求される合理的期間内の是正が行われないときに初めて右規定が憲法に違反するものというべきである。

4  また、議員定数配分規定そのものの違憲を理由とする選挙の効力に関する訴訟は、公職選挙法二〇四条の規定に基づいてこれを提起することができるものと解すべきである。

二  本件議員定数配分規定の合憲性について

1  本件選挙は、平成四年改正法により改正された公選法の本件議員定数配分規定に依拠したものであるが、証拠(乙三ないし八、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。

右改正前の衆議院議員定数配分規定(昭和六一年法律第六七号により改正された公選法の衆議院議員定数配分規定)は、衆議院議員の選挙区間の議員一人当たりの人口の較差が、昭和六〇年の国勢調査に基づけば、最大一(長野県第三区)対2.99(神奈川県第四区)であったものが、平成二年の国勢調査の結果では、最大一(東京都第八区)対3.38(千葉県第四区)にも達していたことから、国会において、それまでの最高裁判決(昭和五一年四月一四日大法廷判決・民集三〇巻三号二二三頁―選挙人数の最大較差一対4.99につき違憲状態にあるとした、昭和五八年一一月七日大法廷判決・民集三七巻九号一二四三頁―人口の最大較差一対3.94につき違憲状態にあるとした、昭和六〇年七月一七日大法廷判決・民集三九巻五号一一〇〇頁―選挙人数の最大較差一対4.40につき違憲状態にあるとした、昭和六三年一〇月二一日第二小法廷判決・民集四二巻八号六四四頁―選挙人数の最大較差一対2.92につき違憲状態ではないとした。)に鑑み、右較差をそのまま放置することは許されないとの認識の下に、較差を二倍程度に近づけるよう漸次是正することとし、当面の実現可能な緊急是正措置として本件改正をしたものであり、本件改正の結果、選挙区間の議員一人当たりの人口の較差は平成二年の国勢調査に基づけば、最大一(愛媛県第三区)対2.77(東京都第一一区)に縮小したが、その後の人口の異動により、本件選挙当時の選挙人名簿登録者数(平成五年七月三日現在)に基づく選挙区間の議員一人当たりの選挙人数の較差は、最大一(愛媛県第三区)対2.84(東京都第七区)にやや拡大した。

右認定事実によれば、本件議員定数配分規定には、本件改正当時も本件選挙当時も依然として、選挙区間の投票価値の不平等が存するものというべきではあるが、その不平等の程度は、本件改正当時をとってみても本件選挙当時をとってみても、前記昭和六三年最高裁判決が違憲状態ではないとした最大較差を下回るものであること、本件改正は、前記のとおり当面の実現可能な緊急是正措置としてされたものであって、抜本的改正は、国会においても意図されており、なお期して待つべきところがあるところ、本件選挙は、本件改正の約七か月後に本件改正後初の総選挙(本件改正法の施行期日は右総選挙のとき)として施行されたものであり、その間に抜本的改正の余地はなかったこと、前記一のとおり、選挙区割と議員定数の配分は、国会の立法裁量にかかる事項であり、かつ右裁量にあたっては中選挙区単記投票制のもとでは種々の非人口的要素も考慮されるべきことなどからすると、本件議員定数配分規定における前記選挙区間の投票価値の不平等は、違憲状態にある程度のものとまではいえない。

2  原告らは、我が国における昭和二二年ころまでの定数配分に関する立法事実及び憲法学説の状況、アメリカ合衆国の状況等に鑑みると、合憲となしうる議員定数配分の許容最大較差は一対二が限界である旨主張する。

代議制民主主義のもとにおいては、投票価値の平等は、国家意思形成の正当性を基礎づける中心的要素であり、議員定数の配分を定めるにあたって重視されるべき事柄であることはいうまでもない。殊に二院制をとる場合の第一院において小選挙区制がとられる場合には、人口比例原則は、極めて重要な原則となるであろう。原告ら指摘の我が国の過去の立法事実やアメリカ合衆国の立法事実も、そのことを示している。

しかし、投票価値の平等は、議員定数配分を定めるにあたっての唯一絶対の基準というわけではない。代議制民主主義のもとにおいては、議員が国民を適正かつ効果的に代表するということが議員定数配分を定めるにあたっての究極の目標というべきであり、投票価値の平等は、重要ではあるが、右目標達成のための一つの要素にすぎないというべきである。したがって、二院制をとる場合の第二院や第一院でも中選挙区単記投票制をとる場合において議員定数配分を定めるにあたっては、地域代表、利益代表といった非人口的要素をも考慮せざるを得ず、人口偏在の点を考慮すると、投票価値の平等は、厳格には適用され得ない。

しかも、選挙区割や議員定数の配分には技術的要素もからむため、憲法は、その決定について国会に広い裁量権を認めている。

したがって、議員定数配分規定の抜本的改正、殊に小選挙区制を前提とした改正にあたっては、将来の人口異動を考慮に入れても選挙区間の最大較差二倍以内に納めることが期待されるが、中選挙区単記投票制のもとにおける本件改正の経緯からして、本件改正にあたり右のような抜本的改正をとらなかったからといって、本件議員定数配分規定ないしこれに基づく本件選挙を違憲視するのは当を得ない。

原告らの前記主張は理由がない。

第四  よって、原告らの請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官露木靖郎 裁判官渡邉了造 裁判官亀田廣美)

《原告らの主張》

一 日本の選挙制度の概観

我が国の選挙制度の嚆矢は、明治二二年(一八八九年)帝国議会の設置に伴う衆議院議員選挙法の制定に始まる。

以後、小選挙区制、大選挙区制を経て、大正一四年(一九二五年)いわゆる大正デモクラシーにより国民の間に普通選挙、平等選挙の要求運動が高まったことを受けて、納税要件を廃して、二五歳以上の男子に平等に選挙権を与える普通選挙制度が実現した。ここでは、民意の公正な選挙結果への反映を狙った、中選挙区単記投票制という我が国独自の方式が採られ、それが現在の衆議院議員の選挙制度の基礎となった。

戦後、女性にも選挙権が与えられた結果、我が国の平等選挙は一応の完成を見た。

また、有権者年齢も二〇歳に引き下げられた。

戦後最初の総選挙では、都道府県単位のいわゆる大選挙区制限連記投票制が採用された。これは、候補者選択の枠を拡大し、国家的人物や新人の進出を可能にすること、また、疎開などによる人口異動が広範囲に起こっている状況を勘案したためといわれている。

しかし、この大選挙区制は所期の目的に必ずしも沿わない結果を生み、制度の再考がなされた結果、昭和二二年の法改正により、再び中選挙区単記投票制へ復帰した。

この昭和二二年改正においては、議員定数に増減がないように配慮しながら、先ず都道府県別の配分議員数を人口に比例するように決め、さらに、各都道府県内で定員が三ないし五名の選挙区をつくって、選挙区ごとの議員数をこれも人口に比例するように定めた。

その際、人口の資料としては、昭和二一年四月の臨時統計調査を使用したが、当時は戦時中の人口異動が回復しておらず、大都市ほど人口が減少していた。その結果、東京、大阪などの大都市では、大正一四年の議員配分に比べて、配分数が少なくなった(昭和二二年も大正一四年も衆議院議員の総定員は四六六名であったが、東京都についていえば大正一四年の議員配分は三一名であるのに対して昭和二二年では二七名の四名減少、大阪府では大正一四年で二一名だったものが昭和二二年では一九名の二名減となった。)。

その後、衆議院議員選挙法は、昭和二五年に参議院議員選挙法その他の選挙法とともに公職選挙法に統合されたが、当時、外地からの復員、引揚者、さらに疎開先からの復帰者などのため、すでに選挙区間の人口と配分議員数にアンバランスが生じつつあった。

この問題を受けて、衆議院議員選挙法の議員定数配分表を公職選挙法の別表第一に移すに当たって、その末尾に次の一文を設けた。

「本表は、この法律施行の日から五年ごとに、直近に行われた国勢調査の結果によって、更正するのを例とする。」

この一文は、右のような実情に関連して設けられたものであったが、これはまた、衆議院議員の定数配分が人口比例の原則に則って国勢調査ごとに絶えず是正されなければならないことを確認するものでもある。

二 投票価値の較差の拡大と是正措置

公職選挙法の施行後、昭和三〇年、昭和三五年と国勢調査が行われ人口の都市集中という人口変動がはっきりするとともに、各選挙区間で人口と議員数のアンバランスが顕著となってきたことが数字のうえでも確認された。

しかし、この時点で自派の当選議員数の減少を懸念する与党、野党第一党とも自らの手では定数是正を行わずこれを放置したため、一票の投票価値の較差は、さらに拡大し続けることとなった。

そのため司法の側からの働きかけとして昭和三七年、我が国で最初の定数是正訴訟が越山康弁護士(東京弁護士会)によって提訴された。

一方、法律によって組織された選挙制度審議会は昭和三八年、衆議院の定数是正を答申した。

国会は衆議院議員の定数を、昭和三九年に減員区なしで一九名増加、昭和五〇年に同じく二〇名増加する是正措置を講じたがいずれも抜本的な是正には程遠い状態であった。

そのような情勢の中で、最高裁判所はそれまで国会の裁量の問題として違憲判断を避けて来た態度を変更し、昭和五一年四月一四日大法廷において画期的な違憲判決を下すに至った。すなわち、昭和四七年の衆議院の総選挙について、議員一人当たりの人口比が最小と最大で一対4.99であったことは憲法の要求する選挙権の平等原則に反しているとしてその選挙の違法を宣言したのである。ただし、選挙そのものについては、これを無効とした際に生じる社会的混乱を理由として無効とはしないとした。いわゆる「事情判決」と呼ばれるものである。

その後、度重なる定数是正訴訟は、高等裁判所(広島、東京)判決で人口比を基準とした投票価値の最大較差の合憲的限界を一対二とする判断を引き出し、また、最高裁判所においても少数意見として一対二を限界とし、あるいは然るべき期間内に是正措置がなされなければ選挙そのものを無効とすることもやむを得ないなどの意見を得るに至った。

また、憲法の学説上この投票価値の較差問題に関して議論が活発化し、憲法学者の間では一対二を限界とする説が通説的地位を占め、これは現在においても変わっていない。

一方、国会は昭和六一年になって、ようやく「四つの減員区を含めて、定数一名増によるいわゆる八増七減」の暫定的是正を行った。その際、「昭和六〇年の国勢調査人口の確定値の発表を待って抜本是正を行う」との決議を行い、近い将来の抜本的な定数是正を約束した。

しかし、その後に行われた定数是正は平成四年のいわゆる九増一〇減のみであり、これもまたその場しのぎの手直しに過ぎず、何らの抜本是正を経る事なく、結局本件選挙を迎えるに至ったものである。

三 アメリカ合衆国における定数是正(再配分)の歴史

我が憲法の人権規定は、その立法過程においてアメリカ合衆国憲法の大きな影響を受けていることは否定しがたい事実であるが、アメリカ合衆国において選挙権の平等、中でも投票価値の較差の是正がどのようにして実現されてきたかは興味深いことであり、かつ、我が国における憲法解釈の参考ともなりうるものである。

投票価値の較差の問題は、アメリカ合衆国においては公民権問題の重要な一部門として位置付けられ、較差是正のためのさまざまな努力が重ねられて来た。

「州の行為がある市民の票に他の市民の票の四分の一の価値しか与えていないとき、その不正さは、人種的理由によって黒人の票を否定しているケースと、どうちがうというのだろうか。水で薄められていない投票の権利というものがあるべきだとしたら、このどちらの行為も、法律の平等な保護の否定とみなされるべきではないだろうか。(ウテリアム・エル・テイラーのニュー・レパブリック誌における論説)」

しかし、一九六〇年代に至るまでは、投票価値の平等に関する限り、アメリカ合衆国においても現在の我が国とたいして変わらない状況であったといえる。

つまり、一九五九年時点で合衆国五〇州のうち四三州で一〇年ごとの定数再配分(州上、下院)が規定されていたが、その適用は長期にわたってサボタージュされがちであった。再配分規定のある各州の上下院合計九九のうち一九三五年から一九五九年にいたる二五年のあいだ一度も再配分を行わなかったケースが三〇以上を占めていた。

また、再配分が行われたにしても実際はその場しのぎの形だけのものに終わった例も少なくない。

アメリカ合衆国においても、いわば最後の手段として残されていたのが裁判所による救済であった。

東京大学の井出嘉憲による論文「アメリカにおける投票の権利と平等の代表」には以下のように記されている。

「前世紀から今世紀半ばにかけて、議席配分・選挙区割に関する州の現行規定を不平等代表の事実にもとづいて違憲・無効であるとし、州議会にたいして公正な再配分を実施する命令を下すように求める訴えが、相次いで州および連邦裁判所に提起された。」「これらのケースのうち、選挙区の間の人口差が著しいものは、しばしば配分・区割に関して議会がもつ裁量権の有効な行使の範囲を越えており、無効であると判決された。こうした州及び連邦地方裁判所の介入努力によって、代表の平等・不平等を判断するのに役立つ一応の基準(さまざまのケースの比較分析から、最大選挙区と最小選挙区の人口比―二対一の線がそれに該当したといわれている)が不明確ながらも浮かび上がり、再配分問題を司法的に解決する道がある程度開かれはじめたが、しかし、その道はなお厳しく制限されていた。「最大―最小比」が二対一以上であっても、無効判決が出されるとは限らなかったし、下級審で無効判決が出されても上級審でそれが覆されることも多かった。そして、何よりも決定的だったのは、合衆国憲法の番人たる連邦最高裁判所が、憲法に定められている「平等保護」条項の適用を求める都市有権者の訴えにたいして、管轄権の不存在、問題の政治的性格、裁判所による判断の不適切性等を理由にその門戸を閉じ、玄関払いを食わせる態度をかたくなに取り続けたことであった。」

しかし、こうした歴史的背景のもとに、一九六〇年代に至り連邦最高裁判所は大きく判断を変更し、テネシー州の有権者からの訴えを却下した連邦地方裁判所の判決を破棄し原審に差戻した。多数意見は、連邦裁判所が憲法の「平等保護」条項のもとで州立法部の再配分を審査する権限をもつこと、および政治的権利の保護を求める訴えの提起をもって司法判断になじまない「政治問題」の提出と解してはならないことを強調した。いわゆるベイカー事件判決である。

この判決は公立学校教育における黒人差別を違憲とした一九五四年の「黒い月曜日」判決とともに今世紀における二大判決の一つと見なされている。

この判決はアメリカ全土を揺るがし、各地で再配分問題をめぐる訴訟と法律改正の動きを誘発した。いわゆる「再配分訴訟のラッシュ」が出現したのである。

後にレイノルズ事件判決(一九六四年)において連邦最高裁判所が州議会議員の配分は人口を基礎になされることを明確にし、ウエズベリー事件判決(一九六三年)では連邦下院の選挙区割りも人口比例にしたがってなされるべきことが確認された。

ウエズベリー判決の多数意見は連邦下院の選挙に関する規定の解釈として「下院議員選挙におけるある人の一票は、可能な限り、他の人の一票と同じ価値をもたなければならない」とした。

連邦上院が「州」を代表すべく設けられているとしたら、連邦下院は「人民」を代表すべく設けられているはずである。そして、「人民」は一人一人が、州とおなじく「主権的単位」であり、それを分かつことも倍加することも許されない。各人は他の人びとと平等に代表される権利を有しており、この目標を達成するためには等しい人口の選挙区を設け、各人が代表の選出に平等に参加しうるようにしなければならない。下院選挙区は州によって設定されてはいるが、しかし、選挙区割における「平等の人口―平等の代表」の原則は、修正第一四条の援用をまつまでもなく、連邦下院そのものの存在意義から引き出してくることができたのである。

現在、連邦下院の、各州に対する議席数の配分は「連邦議会下院議員割当法」により、一〇年ごとの国勢調査の結果により、機械的に算出されている。

四 日本の選挙制度における定数配分の基本的な考え方

前項において、アメリカ連邦最高裁判所における投票価値の平等実現の過程をみたが、翻って我が国において投票価値に関する考え方は明治以来どのようなものであったのか概観する。

結論からいって、明治二二年の「衆議院議員選挙法」以来、立法府において議員定数の配分は忠実に人口比例原則を守っており、これはそのまま昭和二五年の公職選挙法に引き継がれている。

世上の認識のなかには、大日本帝国憲法のもとでは、人口比例原則は採られていなかったかのごとく考える者もあるが、それは誤りである。

選挙法の改正の過程を追ってその事実を検証してみる。

明治二二年

衆議院議員選挙法において、議員定数三〇〇人、小選挙区とし、選挙区は郡(旧区制の場所は、旧区)単位によることとし、人口一三万五六四三人につき一人とし、一〇万人以上であれば一人、一〇万人に足らない郡は、数郡を組み合わせて一〇万人以上になるようにしたといわれている。その結果、府県別による議員一人当たりの人口の最小は長崎県の一〇万七〇〇〇人、最大は山梨県の一四万八〇〇〇人であった。その較差は、約1.38倍である。

明治三三年の改正

定数を六九人増加し、選挙区は府県を単位とする大選挙区制であった。定数配分は市、郡とも人口一三万人につき一人とし、ただ、人口三万人以上の市は、独立選挙区とした。これは、商工業の代表を選出させようとしたものといわれる。

明治三五年の改正

定数を一二名増加。

大正八年の改正

定数を八三名増加。総定数四六四名。

小選挙区制が原則。

当時の、床次内務大臣の提案説明によると「三万人以上の人口を有する市区は、皆独立選挙区といたしましたために、現在よりその数を増やすこと二二であります。第四には、人口増加によって、自然議員数を増加いたしました。人口一三万人に対して議員一人の割合、端数は、四捨五入の算出法、これは、従来の例をとったのであります。その結果、人口増加のために議員の数が六一名増加いたし……総計八三名の増員となるのであります。」

市は独立区としているが、原則は、人口一三万人に議員一人という従来どおりの人口比例方式によっている。

大正一四年の改正

この改正により普通選挙が実施され、中選挙区制度が採用された。総定数四六六名。若槻内務大臣の説明によると「人口に対する議員の配当基準を定めますには、現在の議員定数になるべく増減なからしめるの目的をもって、各府県について人口一二万人につき議員一人を配当するの割合を定めました。その結果議員定数が四六六名となりまして、……次に市及び島嶼の独立選挙区の制度を撤廃致しました……」とある。

都道府県別には、議員一人当たりの人口最大は、宮崎県の一三万〇三一七人、最小は徳島県一一万一七〇三人、その較差は1.17倍である。選挙区比較では最大は秋田一区の一四万二一四八人、最小は佐賀一区九万五〇九六人で較差は1.49倍である。

昭和二〇年の改正

女性に選挙権が与えられ、有権者年齢も二〇歳に引き下げられた。また、大選挙区制が採用された。

堀切内務大臣の提案説明によると「議員総数四六六名をもちまして選挙法施行地域の全人口七二四九万一二七七人を除しまして、よって得たる一五万五五六〇人につき議員一人を配当することと致し……」とある。

昭和二二年の改正

中選挙区制に戻る。定数配分は人口一五万六九〇一人に議員一人の割合で、議員当たりの人口比では、選挙区間の最大が鹿児島二区の一九万二〇三七人、最小は愛媛一区の一二万七五九一人で、較差は1.51倍である。

以上のように、投票価値の較差が二倍以上となりそれが長期間放置されるようになったのは戦後の現象であって、大日本帝国憲法の時代では、むしろ、立法府は絶えず人口比例原則に忠実に議員定数の配分を行ってきたのである。

そして、そこでは最高裁昭和五八年判決のような以下のような立法指針はにわかに見いだすことができないのである。

「投票価値の平等は、憲法上、右選挙制度決定のための唯一、絶対の基準となるものではなく、原則として、国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的に実現されるべきものと解さなければならない。」

このような立法指針をかつて立法府がとったことがあるとは、最高裁はどのような根拠に基づいて認定しているのであろうか。あるいは、現在における立法指針を、最高裁が積極的に提示したとも言えなくはないが、そうであればむしろ、従来の司法の消極性からして奇異というほかない。

そして、このような曖昧模糊とした投票価値に対する認識から、結局一対三の較差が合憲基準として独り歩きするという誤りを導いてしまったといえよう。

五 原告らは、較差の合憲の限界値を一対二と考えている。

これは理論的には、平等選挙制度のもとでは認められない、いわゆる「複数選挙制度(納税額の差により選挙人に対しある者には一票、ある者には二票を与える制度)」と同様な結果となるのが較差二倍を越えるところから発生することによっている。また、法感情からしても、一人の政治的価値が他の人の半分に満たない状態は、一人はあくまで一人であり二人にはなり得ないという常識に反するといえる。

我が国の定数配分に関する立法事実(昭和二二年の改正まで、人口比例原則に忠実に議員定数の配分が行われてきたこと)及び憲法学説の状況、アメリカ合衆国において採られた基準に照らしても一対二限界説が妥当である。

そして、本件選挙は、平成五年七月三日現在の選挙人名簿登録者比較で最大較差一対2.84倍、平成五年三月三一日現在の住民基本台帳人口比較での最大較差一対2.79倍のもとで執行されたものであり、このことは裁判所に顕著な事実である。

右は合憲基準を超える違憲状態の議員定数配分のもとでの選挙であるから、憲法一四条の法の下の平等に反するものとして無効とされるべきである。

《被告の主張》

第一 議員定数配分に際しての国会の裁量権

一 はじめに

憲法一四条一項、一五条一項、三項及び四四条但書の各規定からすると、憲法が各選挙人の投票の価値の平等を含めて選挙権の平等を保障していることは明らかであり、この理は最高裁判所の各判決(最高裁昭和五一年四月一四日大法廷判決・民集三〇巻三号二二三頁、同昭和五八年一一月七日大法廷判決・民集三七巻九号一二四三頁、同昭和六〇年七月一七日大法廷判決・民集三九巻五号一一〇〇頁、同昭和六三年一〇月二一日第二小法廷判決・民集四二巻八号六四四頁、同平成五年一月二〇日大法廷判決・判例時報一四四四号二三頁、以下、各判決は年号ないし法廷により、例えば「昭和五一年大法廷判決」などと引用する。)も明認するところであるが、このことは、異なる選挙区間における投票価値が形式的な平等を欠く状態となれば直ちに違憲として許容されないことを意味するものではなく、選挙制度の意義ないし目的及び選挙に関する事項はいわゆる法律事項とされていること(憲法四三条二項、四七条)等から、国会の定めた議員定数配分規定が国会の裁量権の合理的な行使として是認し得るものであれば、そのような不平等があるとしても憲法は許容するものというべきである。

そこで、以下には、本件議員定数配分規定が国会の裁量権の合理的な行使として是認し得るものであることを明らかにする。

二 衆議院議員の選挙における選挙区割と議員定数配分に関する国会の裁量について

1 議会制民主主義の下における選挙制度においては、国政の運営に国民の多様な利害や意見の公正かつ効率的な反映ができるよう、国民の代表者たる議員の的確な選出とともに、安定した政治を可能ならしめることが要請されていることから、議員定数配分の決定をめぐっては、必然的に単なる数字の操作のみでは解決できない高度の政治的、技術的要素が絡むこととなる。

すなわち、現代のような価値の多元化した社会においては、国民の政治的意思が、様々な思想的・世界観的な対立、多種多様の利益集団間の対立又は都市部対農村部の対立等を通じて複雑かつ多様な形で現れることから、これらを統合、集約化して政治的統一意思の形成に資するものとするためには、極めて多方面にわたる配慮を必要とするのである。

また、対外的には、世界情勢の流動化や複雑化を背景として、我が国が国際社会で果たす責任が増々重大となりつつある一方、国内的にも、福祉国家体制の進展に伴い、国家の社会、経済への積極的関与の度合いが高まり、総合的・長期的な政策決定とその実行が必要とされ、政治の効率的な運営のために政治制度を安定させることが強く要請されているのである。

その結果、選挙制度の枠組みを考えるに当たっては、相互に矛盾する一面を有する右のような要請を考慮しながら、それぞれの国の実情に即して具体的にその在り方が決定されるべきこととなるのである。

2 このようにみてくると、普遍的な選挙制度というようなものは存在せず、我が国とは歴史的事情、国民性、選挙制度、その他国家制度等の異なる他国において形成された選挙に関する理念ないし原則をそのまま無批判に我が国に導入の上、これを直ちに憲法の要請するところとして憲法解釈に用いることには相当でないと考えられる。

3 以上のような理由から、憲法も、国会両議院議員の選挙については、議員定数、選挙区、投票方法その他選挙に関する事項を法律で定めるべきものとし(四三条二項、四七条)、選挙制度の仕組みの具体的決定は、原則として国民代表機関たる国会の裁量に委ねているのである。

したがって、投票価値の平等は、憲法上、右選挙制度の決定のために、唯一、絶対の基準となるものではなく、原則として、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものと解される(前記各最高裁判決参照)。

4 現在、選挙制度の仕組みを決定するに当たり、衆議院議員選挙は、いわゆる中選挙区単記投票制が採用されているが、この場合において、具体的にどのように選挙区を区分し、それぞれに幾人の議員を配分するかを決定するかについては、異なる選挙区間の投票価値の平等を憲法が要求していると解する以上、各選挙区間の選挙人数又は人口数と配分議員定数との比率の平等を実現することが最も重要かつ基本的な基準とされるのであるが、それ以外にも、国会が正当に考慮し得る要素は少なくない。

この点、昭和五一年大法廷判決によれば、国会において実際上考慮され、かつ、考慮されてしかるべき要素について、「殊に、都道府県は、それが従来わが国の政治及び行政の実際において果たしてきた役割や、国民生活及び国民感情の上におけるその比重にかんがみ、選挙区割の基礎をなすものとして無視することのできない要素であり、また、これらの都道府県を更に細分するにあたっては、従来の選挙の実績や、選挙区としてのまとまり具合、市町村その他の行政区画、面積の大小、人口密度、住民構成、交通事情、地理的状況等諸般の要素を考慮し、配分されるべき議員数との関連を勘案しつつ、具体的な決定がされるものと考えられるのである。更にまた、社会の急激な変化や、その一つのあらわれとしての人口の都市集中化の現象などが生じた場合、これをどのように評価し、前述した政治における安定の要請をも考慮しながら、これを選挙区割や議員定数配分にどのように反映させるかも、国会における、高度に政策的な考慮要素の一つであることを失わない。」と判示の上、衆議院議員選挙の選挙区割や議員定数配分を国会が決定する際には極めて多種多様の要素を考慮し得るとした上、国会に広範な立法裁量権を認めているところであり、昭和六三年小法廷判決、平成五年大法廷判決もほぼ同趣旨の判示をしているところである。

この点に関連して、原告は、昭和五八年大法廷判決の掲げる「投票価値の平等は、憲法上、右選挙制度決定のための唯一、絶対の基準となるものではなく、原則として、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的に実現されるべきものと解さなければならない。」との判断基準について、これを法的根拠に欠ける立法指針であると批判するが、右判示部分の適否はまさしく法解釈の問題であり、憲法の条文及び法の目的等がその根拠であり、かつ各裁判例が、選挙制度等につき詳しく論じた上での解釈基準として示しているものであるから、十分に理由があり、何ら根拠に欠けるものとは言い難いのである。

5 以上によれば、投票価値の平等の問題を含めた衆議院議員の定数配分の均衡の問題は、議会制民主主義の下における選挙制度のあり方を前提として、国会にその判断が委ねられていることから、国会の裁量権の範囲の問題としてとらえられるべきもので、その裁量権の行使の合憲・違憲の判断はもともと客観的基準になじみにくい分野というべきである。

そして、裁判所が、議員定数配分規定を国会の裁量権の合理的な行使として是認できるかどうかを判断するに当たっては、事柄の性質上、特に慎重であることを要し、限られた資料に基づき、限られた観点から、たやすくその決定の適否を判断すべきものではないことはいうまでもないところである(昭和五一年大法廷判決参照)。

したがって、その合憲性の有無の判断基準としては、具体的に決定された選挙区割と議員定数の配分下における選挙人の投票価値の不平等が、国会において通常考慮し得る前述のような諸要素を斟酌してもなお、一般的に合理性を有するものとは到底考えられない程度に達しているときに限り、国会の合理的裁量を超えているか否かに求められるべきである。

第二 本件議員定数配分規定の合憲性

一 本件選挙が依拠した本件議員定数配分規定は、平成四年改正法による公選法改正後のものであるが、それによれば、平成二年一〇月実施の国勢調査(以下「国調」という。)時の人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口較差(以下「定数較差」という。)は、最大一(愛媛県第三区)対2.77(東京都第一一区)であり、また、本件選挙当時の選挙人名簿登録者数に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差が、最大一(愛媛県第三区)対2.84(東京都第七区)となっていたことは、原告らの主張するとおりであるところ、平成四年改正法による改正当時はもちろんのこと本件選挙当時においても、右定数較差が示す選挙区間における投票価値の不平等の程度が、前述のような国会の裁量権の性質に照らし、国会において通常考慮し得る諸般の要素を斟酌してもなお、一般的に合理性を有するものとは到底考えられない程度に達しているといえないことは明らかであり、理由を述べれば、以下のとおりである。

二 衆議院議員定数配分規定の主な改正経緯について

1 公選法制定当時の定数配分

公選法の前身である衆議院議員選挙法(昭和二二年法律第四三号による改正後のもの)の議員定数の配分は、昭和二一年四月に実施された臨時人口調査の結果に基づいて定められ、当時の定数較差は最大一(愛媛県第一区)対1.51(鹿児島県第二区)であった。

その後の昭和二五年、右衆議院議員選挙法が廃止され、公選法が制定され、当時、衆議院議員の定数は公選法四条一項により四六六名と定められ、その選挙区割及び議員定数の配分は、同法一三条一項、別表第一でそれぞれ規定されていたが、その内容は、衆議院議員選挙法の規定を継承したものである。

なお、この点に関し、原告は、当時の立法事実は、人口比例をもとに定数配分を定め、その際の選挙区間較差が最大1.5倍であったことから、本件選挙実施時においては、合憲性を支える事実の変更ないし消滅があったとして違憲性の推定を受けると主張するが、まず、いかなる種類や範囲の事実が本件における立法事実といえるかは必ずしも明らかでなく、また、その立法事実の欠缺に関する憲法解釈上の要件・効果自体、確定されているとは言い難い上、昭和二五年の公選法制定時において、選挙区と議員定数との決定の際人口的要素が考慮されたとしてもその数値的限界が明らかにされているわけではなく、非人口的要素についても各都道府県内での選挙区の割り方を決定する際にのみ考慮し、各都道府県への配分の際には考慮しないとしているものでもない。

したがって、原告の立法事実論に基づく前記主張は、その理由、根拠が不明確と言わざるを得ず、違憲性の推定を受けるとの結論には到底左袒できないところである。

2 昭和三九年法律第一三二号による公選法の定数是正

昭和三五年実施の国調により、定数較差が最大一(兵庫県第五区)対3.21(東京都第六区)となっていることが明らかとなり、国会において種々論議がなされた結果、昭和三九年の第四六回国会において、一二選挙区で一九人増員する定数是正法案が成立し、公選法は、同年法律第一三二号をもって改正された。

その結果、議員総定数は四八六人となり、定数較差の最大値は昭和三五年国調人口で前記3.21倍から一(兵庫県第五区)対2.19(愛知県第一区)に縮小した。

3 昭和五〇年法律第六三号による公選法の定数是正

昭和四五年に実施された国調により、定数較差が最大一(兵庫県第五区)対4.83(大阪府第三区)に拡大していることが明らかとなり、再度、国会において定数是正が検討され、昭和五〇年の第七五回国会において、一一選挙区で議員定数を二〇人増員し、その結果六人以上となる選挙区を分区する定数是正法案が成立し、公選法は法律第六三号をもって改正された。

これにより、議員総定数は、沖縄復帰に伴う昭和四六年の改正による五人増を含めて五一一名となり、定数較差の最大値は前記4.83倍から一(兵庫県第五区)対2.92(東京都第七区)に縮小した。

4 昭和六一年法律第六七号による公選法の定数是正(以下、「昭和六一年改正法」という。)

(一) 昭和五〇年に実施された国調人口による定数較差は最大一(兵庫県第五区)対3.72(千葉県第四区)となり、昭和五五年に実施された国調人口による定数較差は最大一(兵庫県第五区)対4.54(千葉県第四区)となり、また、昭和五八年一二月一八日施行の衆議院議員総選挙時の選挙人数比による定数較差は最大一(兵庫県第五区)対4.40(千葉県第四区)となった。

(二) このような衆議院議員の定数較差の不均衡状態に対し各政党において、その是正は緊急かつ重要な課題であるとして、その検討に取り組まれた。

しかし、定数是正問題は、選挙制度の根幹に係わるものであり、また、改正に伴う影響にも大きなものがあること等から、成案をとりまとめるまでに日時を要し、昭和六〇年の第一〇二回国会において、自民党及び野党四党(社会党・公明党・民社党及び社民連)からそれぞれ定数是正を図るための法案が提出されたが、会期との関係もあり、次の国会に継続審議されることとなった。

(三) そして、昭和六〇年の第一〇三回国会で、前述の両法案の審議が行われたが、与野党の意見は平行線をたどり、容易に歩み寄りが期待できない状況となったことから、次期国会において速やかに選挙区別定数是正の実現を期する旨の決議がなされ、両法案とも審議未了、廃案となった。

(四) 昭和六〇年一二月二四日に召集された第一〇四回国会において、昭和六〇年国調の要計表人口が発表され、定数較差が最大一(兵庫県第五区)対5.12(千葉県第四区)となることが明らかとなり、また昭和六〇年大法廷判決(同年七月一七日言渡)で、昭和五八年一二月一八日施行の総選挙定数較差の最大値が4.40倍に及んでいたことについて厳しい判断が示されたこともあって、前国会での決議などを受けて、定数是正は緊要の課題として審議され、八選挙区で増員し、七選挙区で減員することによって、定数較差を一対三以内に縮小するといういわゆる八増七減法案が成立し、昭和六一年法律第六七号をもって公選法が改正された。

右改正により、議員総定数は五一二名となり、定数較差の値は、前記最大一対5.12から最大一(長野県第三区)対2.99(神奈川県第四区)にまで縮小した。

5 平成四年改正法による公選法の定数是正

(一) 昭和六一年の改正により、昭和六〇年国調人口による定数較差の値は、前記のとおり最大一対2.99に縮小し、また、昭和六一年七月六日に施行された総選挙における選挙人数比による定数較差は最大一(長野県第三区)対2.92(神奈川県第四区)であった。

(二) しかし、その後も、右較差は、人口異動等によって少しずつ拡大し、平成二年二月一八日に施行された総選挙における選挙人数比による定数較差は最大一(宮城県第二区)対3.18(神奈川県第四区)となり、また、平成二年一〇月に実施された国調人口による定数較差は最大一(東京都第八区)対3.38(千葉県第四区)となっていた。

(三) このような衆議院議員の定数較差不均衡状態に対し、各政党においても、その是正は緊要の課題であるとして、検討に取り組んだ結果、平成二年四月二六日、第八次選挙制度審議会により衆議院の選挙制度を小選挙区比例代表並立制とし、一票の較差是正も実現するという答申がなされ、さらに、翌年六月二五日、選挙区間の定数較差が概ね二倍以下となる選挙区の区割りについての答申がなされた。

これを受けて、政府は公選法改正案の法案化を進め、平成三年第一二一回国会に、衆議院の小選挙区比例代表並立制導入を柱としつつ、定数較差を概ね二倍以下とする公選法の一部改正案を提案したが、合意が得られないまま、同年一〇月四日、同国会の閉会をもって、審議未了、廃案となった。

(四) 前記改正案が廃案となったことを受けて、同日選挙制度など政治改革の課題となるべき事項を検討し、その実現方策を見い出すことを目的として、各政党間で政治改革協議会及び実務者会議の設置が合意され、順次会合を重ねて、具体的協議が進められることとなり、かかる経過を踏まえ、平成四年一一月四日に召集された前記第一二五回国会では、定数是正問題が重要課題の一つとされ、各党の代表質問や予算委員会における質問でも取り上げられ、その後、前述の法案の審議は衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員会(以下「調査特別委員会」という。)において行われ、同委員会では、右法案についていろいろな角度から論議がなされるに至った。

そして、同年一一月二七日、第一二五回国会において、自由民主党から衆議院議員の定数是正を内容とする「公職選挙法の一部を改正する法律案」が衆議院に提出され同月三〇日、調査特別委員会において、同法律案について「最大3.38倍にもなっている較差の現状や、これまでの最高裁判決の考え方等に照らして考えるとき、定数是正をこれ以上放置しておくことは許されず、一刻も早く是正を行うことが、立法府としての責任を果たす所以であると考えます。……較差を二倍程度に近づけるよう漸次是正するという考え方の下に、司法の判断に対する受け身の対応にとどまらず、実現可能なぎりぎりの緊急是正案として、九増一〇減案を提示した……」との趣旨説明がなされ、続いて、各党から、同法律案に対する質疑が行われた。翌一二月一日、調査特別委員会が開催され、参考人の意見陳述とそれに対する質疑、提案者に対する質疑の終了後、同法案について採決が行われ、自由民主党、公明党、民社党の賛成で可決されるとともに、同月三日、衆議院本会議において、自由民主党提案の衆議院議員の定数是正を内容とする「公職選挙法の一部を改正する法律案」が可決された。

他方、参議院においては、同月八日、選挙制度に関する特別委員会において提案者からの法律案の提案理由説明及び野党各党からの質疑が行われた後、自由民主党・公明党・民社党・連合及び日本新党の賛成で可決され、さらに、同月一〇日開催された本会議において、賛成多数で可決され、ここに平成四年改正法が成立し、懸案の定数是正の実現をみたのである。

その結果、議員総定数は五一一名となり、平成二年実施の国調人口に基づく定数較差の値は、前記最大一対3.38から最大一(愛媛県第三区)対2.77(東京都第一一区)にまで縮小した。

(五) ところで、右改正案成立に至るまでの間には、最高裁判所が、まず、昭和五八年大法廷判決で、昭和五五年施行の総選挙における定数較差の最大値が千葉県第四区と兵庫県第五区の間の3.94倍(選挙人数比)に及んでいたことについて、「本件選挙当時の右投票価値の較差は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至っていた。」と判示した(但し、憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったものと断定することは困難であるとして、違憲とはしなかった。)。続いて、第一〇二回国会終了後間もない昭和六〇年大法廷判決で、昭和五八年施行の総選挙における定数較差の最大値が千葉県第四区と兵庫県第五区の間の4.40倍(選挙人数比)に及んでいたことについて、選挙の効力自体は事情判決により無効とされなかったものの、「本件選挙当時において選挙区間に存した投票価値の不平等状態は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至っていたもの」というべきであり、「憲法上要求される合理的期間内の是正が行われなかったものと評価せざるを得」ず、「本件議員定数配分規定は、本件選挙当時、憲法の選挙権の平等の要求に反し、違憲と断定するほかはない。」と判示され、さらに、現行定数配分規定を是正しないまま、選挙が執行された場合には選挙の効力を否定せざるを得ないこともあり得るし、当該選挙を直ちに無効とすることが相当でないとみられるときは選挙無効の効果は一定期間経過後に発生するという内容の判決もできないものではないとする補足意見が付されるなど厳しい見解が示されたこともあって、国会はこの定数是正を、一層急務な問題と理解するところとなった。そして、このような状況は、前記昭和六一年の公選法改正によりいったん緩和されたものの、以後も問題が継続していたことから、前述のとおり是正方を図るべく努力してきたものである。

(六) このように、平成四年改正法は、国会がこれまでの最高裁判決を十分認識して、定数是正の早急な実現という要請に対応するために、最大限の努力を重ねた結果として成立したものであり、このことは、本件定数是正措置を決定するに際しての国会の裁量権行使の適否を判断するに当たり、十分に斟酌されるべきである。

三 平成四年改正法制定当時及び本件選挙当時における本件議員定数配分規定の合憲性について

平成四年改正法制定当時における本件議員定数配分規定の定数較差の値が最大一(愛媛県第三区)対2.77(東京都第一一区)であり、また、本件選挙当時の選挙人数比による定数較差の値が最大一(愛媛県第三区)対2.84(東京都第七区)となっていたことは前述のとおりである。このような投票価値の不平等状態に関する前述の各裁判例の内容をみるに、昭和五八年大法廷判決は、「昭和五〇年改正法による改正後の議員定数配分規定の下においては、(中略)、直近の同四五年一〇月実施の国勢調査に基づく、選挙区間における議員一人当たりの人口の較差が、最大一対4.83から一対2.92に縮小することとなったのであり、(中略)、右改正前の議員定数配分規定の下における投票価値の不平等状態は、右改正によって一応解消されたものとして評価することができる。」と判示し、また、昭和六〇年大法廷判決は、昭和五八年判決を参照しつつ、「昭和五〇年改正法による改正の結果、従前の議員定数配分規定の下における投票価値の不平等状態は、一応解消されたものと評価することができるというべきである」と判示し、さらに、昭和六三年第二小法廷判決は、昭和六一年に施行された衆議院議員総選挙について「昭和六一年改正法による議員定数配分規定の改正によって、昭和六〇年国勢調査の要計表(速報値)人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差は最大一対2.99となり、本件選挙当時において選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差は、最大一対2.92であったのであるから、前記昭和五八年大法廷判決及び昭和六〇年大法廷判決が、昭和五〇年法律第六三号による公職選挙法の改正の結果、昭和四五年一〇月実施の国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差が最大一対2.92に縮小することとなったこと等を理由として、前記昭和五一年大法廷判決により違憲と判断された右改正前の議員定数配分規定の下における投票価値の不平等状態は右改正により一応解消されたものと評価できる旨判示する趣旨に徴して、本件議員定数配分規定が憲法に反するものとはいえないことは明らかというべきである。」と判示しているところである。

そして、これら各判示は、もとより、憲法解釈上、定数較差の許容範囲について一定の数値的基準でこれを一律に画するものではないにしろ、具体的判断例としての一応の数値的な目安ないし合憲性判定基準を示したものと解される。

そこで、右判示を前提として、平成四年公選法改正時及び本件選挙当時における、基本的基準とされる選挙区の選挙人数又は人口と配分議員数との比率をみるに、いずれも、少なくとも数値的にみて、その合憲とされる許容の範囲内にあったことは明らかである。

これに併せて、前述の平成四年改正法制定に至るまで国会が多大の努力を払ったこと、同法制定後の本件選挙時における定数較差が既に同法制定時より若干拡大しているが、同法公布時からほぼ七か月後のことで漸時的に生じた選挙区相互間の人口異動等を原因とするもので、このような偏差は止むを得ないものと考えられること及びその他に本件各不平等状態はもはや正当化しえないとする特段の事情も見受けられないこと等を総合考慮すれば、本件議員定数配分規定は、平成四年改正法制定当時においても、また、本件選挙当時においても、「具体的に決定された選挙区割と議員定数の配分の下における選挙人の投票価値の不平等が、国会において通常考慮しうる諸般の要素を斟酌してもなお、一般的に合理性を有するものとは到底考えられない程度に達している」とは到底認められないものといわなければならない。

四 結論

以上のとおり、本件議員定数配分規定は、その改正当時においても、本件選挙当時においても憲法に違反するものとはいえず、本件選挙が無効とされる理由は全く存在しないから、原告らの本件請求は失当として排斥されるべきである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例